こんばんは。
今日は休みでした嬉。
車のタイヤ交換も終わらせることができたので、一安心です。
いよいよ冬本番ですね。
寒いのは苦手なので、厚着して乗り切っていきたいと思います!
深々とした冬景色も緊張感があって、身が引き締まる感じがいいですよね。
寒いのは苦手ですが…笑。
今日のテーマは「何度でも向き合うこと」について書いてみたいと思います。
昨日の夜勤明けでの出来事です。
自分は夜勤を終えて眠い目をこすりながら、そろそろ帰ろうと荷物をまとめていると、他のユニットの職員が自分を呼びにきました。
「男性の職員を探していました」
(ん?なぜ男性??)
「実は利用者が薬を飲んでくれなくって…。拒否が強いんです」
「私以外にも3名の(女性)職員で対応して見たのですが、それでも飲んでくれなくて…」
「実は昨日も同じようなことがあって、その時に男性の職員が対応したら服薬できたので、今日も男性の職員だと服薬できるかなっと思って呼びにきました」
とのこと。
(んー。男性職員だと服薬してくれるの?)
自分は半信半疑で呼びに来た職員のいるユニットに向かいました。
そこにはいつもとは様子が違って見えるほど、項垂れている利用者がいました。
髪が乱れ、疲れ切った様子が服薬拒否の様子を物語っていました。
自分は職員から薬を受け取り、この利用者の元に行きました。
利用者に近づくと、人の気配に気づき暴れ出しました。
「いやだぁーーーー!くるなぁーーーー!!」
手をバタバタさせながら、髪を振り乱しながら、自分が近づくことを嫌がっています。
このままでは利用者も苦しいし何も変わらないと判断し、少しずつ様子を見ながら近づいてみることにしました。
すると、利用者は小声で何か言っています。
「人なんて信じない…。人間なんて嫌いだ…」
何があったのでしょうか。
この利用者は認知症を患っています。
時々、職員や周囲の利用者に暴言を吐いたりすることがあります。
最近は特定の職員への拒否や暴力行為があったそうです。
認知症の症状が進行しているのかもしれません。
自分は少しずつ利用者に近づき、隣の席に座ることができたので、介護でもっとも大切な「傾聴・受容・共感」を繰り返しました。
20分くらいは繰り返したと思います。
利用者は人間不信になっている様子で何度も「嫌だ嫌だ」と繰り返していましたが、少しずつ自分の目を見て話をしてくれるようになりました。
そして、利用者は頭を抱えながら自分にこう言いました。
「ごめんなー。暴れたことは悪いと思ってるのよー」
きっと利用者は、何か納得できないことがあったのでしょう。
暴れたり拒否をしたりすることは、認知症の症状とも言えるかも知れませんが、自分は今回は何か違うと感じました。
これは今までの自分の介護経験からの判断なので正解ではないかも知れませんが、傾聴している限りでは利用者は何か納得できないことがあって嫌な思いをしたように感じました。
(利用者の話している内容が所々ずれてしまうので、原因までは分かりませんでした)
そして、
「話を聞いてくれてありがとね…。薬飲むといいんでしょ?」
と落ち着いた様子で自分に話しかけてきました。
いつもの利用者に戻りました。
(やったー!)
この瞬間はスイッチが切り替わったかのようでした。
いつもの表情に戻った利用者は、髪を自分自身で整えながら、口を大きく開けて服薬してくれました。
「これは美味しい!」
と薬を美味しいと訴える様子も、いつも通りでした。
利用者は、何度も「ありがとう」と繰り返していました。
自分は帰ることを伝えると、「気をつけて帰ってね」と優しい言葉まで掛けてくれました。
介護をやっていて嬉しい瞬間でもあります。
さて、この話の冒頭に自分を呼びにきた職員が言っていた「男性が対応すると服薬してくれる」というところですが、服薬介助していて自分は思いました。
(男性だから服薬できたんじゃない)
(これは職員の力不足だと)
(しかも3人の職員が関わっても対応できなかった)
正直、情けなくなりました。
しかも、この職員は介護福祉士の資格も持っています。
もしかすると傾聴しても拒否が強くて対応できなかったのかもしれません。
その時の状況までは見ていた訳ではないので分かりません。
いろんなことを試したのかもしれません。
しかし、明らかに足りないことがあります。
それは、「利用者に向き合うこと」です。
前回のブログでもそんなこと書いていたと思いますが、利用者に向き合うことで信頼関係ができます。
たとえ利用者が拒否をしても、間違っていたとしても、職員がミスをしたとしても、対応できなかったとしても、向き合うことを忘れてはいけません。
ちなみに、自分が利用者と20分以上対応していた時に、その職員は離れた場所で経過記録を書いていました。
自分はこの姿にもがっかりしました。
初めからできないと諦めている様子も、利用者は見ています。
しっかりと向き合ってくれる人のことを、認知症を患っているとしても利用者は見ています。
この時点でこの職員は服薬介助できていないのです。
いや、服薬だけじゃないかもしれません。
介護ができていないのかもしれません。
介護のやり方に正解はないと思いますが、利用者と向き合うことを止めてしまったら、良い介護はできないと自分は思っています。
この職員は、いつまでも他の職員を頼って介護していくことになるでしょう。
介護だけじゃないかもしれません。
どんな事でも、問題に向き合う姿勢がないと成長はないと自分は思います。
決して「無理をしなさい」と言っている訳ではありません。
ダメなこともあります。
いくらやってもできないこともあるでしょう。
でも、できないならできるようになろうとする「前向きな気持ち」は必要だと思います。
それは、助けてくれた人に対しての感謝の気持ちの表れでもあると思います。
「男性を呼んできたからあとは関係ない」
そんなこと思ってないのかも知れませんが、自分からはそのように見えてしまうのです。
特に介護の仕事をしているのですから、服薬介助できなかったなら、その時点で力の無さを感じてほしいです。
「私以外にも3人でやってもできなかったのだから、これは仕方ない」
「やっぱり男性だからこの利用者は服薬できたんだ」
と、間違った考えをしないでほしいです。
自分が正しい介護士だとは思っていませんが、この職員と明らかに違うことは自分の対応で証明しています。
自分は経験があるから自信があります。
利用者に向き合う姿勢を忘れた介護士は、良い介護ができないと自分は思います。
この利用者が人間不信になるということは、介護士の何かが足りなかったのかもしれません。
いや、単に認知症の症状だったのかもしれません。
いやいや、単に機嫌が悪かっただけかもしれません。
それは、その時の当事者じゃないとわからないでしょう。
しかし、利用者に良い介護をしたいのであれば、薬を飲んでもらいたいのであれば、なぜ拒否されたのかを真剣に考えてみても良いと思います。
傾聴・受容・共感も相手のことを理解しようとする気持ちが無ければできません。
結果的に、利用者に問題があるのであれば、ケアマネや医師にも相談が必要だと思います。
そのためにも、利用者に向き合う必要があります。
利用者に向き合うことは、信頼関係を成立するだけじゃなく、介護士にとって大事な役割があります。
介護って難しいですね苦笑。
「相手を思いやる気持ち」
これは利用者に対しても職員に対しても同じです。
助けてもらったならばせめて次からは自分でもできるようになろうとする努力は必要だと思います。
たとえ次回もできなかったとしても、前向きな姿勢は相手にも伝わります。
頑張っている姿があれば、また助けてあげたいと自分は思います。
こんな気持ちは利用者だって同じです。
利用者だって暴れたくて暴れている訳ではありません。
どうしようもないから暴れるという手段を使って助けを求めているのです。
その表現が暴れるになっているだけです。
服薬介助できなくて自分に助けを求めてきた職員のように、利用者だって何か納得できなくて助けを求めていたのです。
そこを理解できないと利用者の気持ちにはなれません。
なぜ服薬してくれなかったのか。
なぜ拒否されたのか。
その気持ちを理解するにはまず利用者に向き合うことが必要です。
そして傾聴して受容して、できたら少しでも共感してみましょう。
利用者の気持ちに共感するのはすごく難しいです苦笑。
でも共感できた時に、利用者は向き合ってくれます。
そこまできたら、信頼関係成立ですね!
信頼関係が成立すれば、介助は楽になります。
利用者だって人なんです。
向き合う気持ちが大事なんです。
気持ちは伝わります。
たとえ1回目は失敗しても、2回目も失敗しても、3回目は成功するかもしれません。
介護は長い目で見てくださいね。
焦りは禁物です。
焦る気持ちも相手に伝わりますのでご注意ください。
自分もまだまだです笑。
いろんな経験していろんな人に出会って、その経験を介護にも生かしていけたらと思います。
そして、皆様にたくさんいろんなことが伝えられたら嬉しいです。
何度でも…。
10000回ダメで ヘトヘトになっても
10001回目は 何か 変わるかもしれない。
今日もご覧いただきありがとうございました。
また会いましょう。
継続は力なりと自分に言い聞かせる笑。