おはようございます。
皆さんお元気ですか!
久しぶりの投稿になってしまいました笑。
仕事の忙しさは理由にはできないので、自分の大事なものにもっと目を向けていきたいと思います。
元気があれば何でもできる!
これが自分のやる気スイッチです笑。
今日のテーマは「先生」について書いてみたいと思います。
最近介護を始めた頃の自分を振り返ることがあります。
そんな時にふと思うことが、利用者から「先生」と呼ばれていたことがありました。
当時は先生なんてとんでもない。
先生なんて呼ばないでください。
なんて利用者に言っていたのを思い出しました。
では利用者はなんで私達介護士のことを「先生」と呼んでいたのでしょうか。
この答えは今介護の経験を積んでみて分かりました。
〈先生とは〉
世の中には先生というと、色んな先生がいると思います。
学校の先生や塾の先生、音楽の先生や料理の先生など、様々だと思います。
そして医者も先生と呼ばれていると思います。
この方達はなぜ先生と呼ばれるのでしょうか。
先生という言葉を調べてみましょう。
デジタル大辞泉 より
せん‐せい【先生】
《4が原義》
1 学問や技術・芸能を教える人。特に、学校の教師。また、自分が教えを受けている人。師。師匠。「国語の先生」「ピアノの先生」
2 教師・師匠・医師・議員など学識のある人や指導的立場にある人を敬っていう語。呼びかけるときなどに代名詞的に、また人名に付けて敬称としても用いる。「先生がたにお集まりいただく」「先生、お元気ですか」「鈴木先生」
3 親しみやからかいの意を含めて他人をよぶこと。
「ははあ―今日は宅うちに居るな」〈漱石・彼岸過迄〉
4 自分より先に生まれた人。年長者。
「年の賀も祝はれず、―にはあるまじきことなり」〈鶉衣・戯八亀〉
なるほど!
先生にもいろんな意味がありますね。
そして介護の場合、利用者が介護士を先生と呼んでいたのは、上記で言うところの2番にある「学識のある人や指導的立場にある人を敬っていう語。」というところにあるのではないかと自分は思いました。
また1番の「自分が教えを受けている人。」というところにも一部当てはまるかもしれません。
〈わからなくなる〉
認知症の利用者は、考えることが難しいときがあります。
何をやっていたのか分からなくなったり、次に何をすればよいのか分からなくなったり、やっていたことを忘れてしまったり、なぜここに居るのかも分からなくなったりします。
これらは認知症の症状になります。
ここでのポイントは「わからなくなる」ということです。
認知症の方は、上記したようなことでいろんなことがわからなくなります。
わからなくなると不安になります。
不安になれば誰かに教えて欲しくなります。
そんな時にそばにいるのが介護士ということです。
ここでは介護施設なので介護士がそばにいることになりますが、自宅では家族がその役割を担うことになると思います。
家族であれば気兼ねなく認知症の方も聞けると思いますが、介護施設には家族はいません。
そうなると、「学識のある人や指導的立場にある人」である介護士が「先生」として存在するということになります。
〈大事なこと〉
自分は介護を始めた頃は先生なんて呼ばないでくださいと思っていたのですが、利用者にとっては大事な「先生」だったのですね。
わからない時に教えてくれる。
そんな存在が介護士だったのです。
自分は最近仕事の忙しさから、何か大事なものを忘れかけていると思っていました。
忙しくてバタバタと介護をしている。
仕事だから介護している。
やらないと誰もやってくれないからやる。
なんとなく流れ作業のようになっていました。
過去の自分を冷静に振り返ってみて、何かが違うと感じるようになりました。
介護というのは流れ作業ではありません。
利用者がその人らしい生活を送るために支援する仕事です。(これだけではありませんが)
利用者にとっては介護士は「先生」でもあるのです。
時には「先生」として、利用者が不安になったり困ったり悩んだりした時に、その助けになれる存在になりたいと思います。
もっといろんなことを経験して、知識を蓄えて成長していきたいです。
ちなみに、自分にとっての「先生」は、利用者ですけどね笑。
〈感謝〉
利用者がたくさんのことを教えてくれます笑。
立場が変われば、時には誰だって「先生」なんですね笑。
皆さんにもたくさんの「先生」がいると思います。
自分にも今までお世話になった先生がたくさんいます。
今はたくさんの先生方に本当に感謝です。
たくさんの先生がいなければ自分はここにはいません。
そしてこれからもよろしくお願いします。
「先生」。
今日もご覧いただきありがとうございました。
また会いましょう。
継続は力なりと自分に言い聞かせる笑。